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  • 2026.6.29

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    『プラダを着た悪魔』と、王子様を待たないシンデレラたち

    公開以来、多くの女性たちを魅了してきた映画『プラダを着た悪魔』。続編の公開を機に、世代や立場によってさまざまな感想や考察が語られています。「これは女性版『島耕作』だ」という意見まで見かけて、なるほどと頷いてしまいました。

    そこで今回は、私もこの話題に少し便乗して、感じたことを書いてみたいと思います。

    2006年に公開された『プラダを着た悪魔』は、単なるファッション映画ではありません。主人公のアンディは、誰もが憧れるファッション誌『ランウェイ』で働くことになり、鬼編集長ミランダのもとで懸命に努力を重ねます。そして少しずつ実力を認められ、一流の世界へと足を踏み入れていきます。

    この映画が多くの女性の心をつかんだ理由は、華やかなサクセスストーリーだけではありません。アンディは、ミランダの卓越した能力や仕事への覚悟を認めながらも、「成功のためにすべてを犠牲にする生き方」を選びませんでした。自分にとって本当に大切なものは何かを見つめ直し、本来進みたかった道へと戻っていきます。

    仕事も大切。でも人生そのものも大切。そんなメッセージに、多くの女性が共感したのではないでしょうか。

    とはいえ、観客の心を最も躍らせたのは、地味だったアンディが洗練され、一流ブランドの服を次々と着こなしていくシーンではないでしょうか。まるでファッションモデルのように装いを変えながら成長していく姿は実に爽快で、スクリーンの向こうに広がるラグジュアリーな世界に胸を躍らせた方も多かったことでしょう。私自身も、その華やかさにすっかり魅了された一人です。

    一方、続編では20年という時代の流れが物語そのものになっています。隆盛を誇った『ランウェイ』も、紙媒体の衰退とデジタル化の波に直面します。経営再建のためにコンサルティング会社が登場する展開は、むしろ現実社会でもよく見られる話で、妙なリアリティを感じました。

    また、かつて絶対的な権力者だったミランダも、コンプライアンスやハラスメントへの意識が高まった現代では、以前のような振る舞いができません。時代の流れとしては自然なことなのですが、少しだけ気の毒に見えてしまったのは私だけでしょうか(笑)。

    それでも、ファッションシーンの豪華さは期待以上でした。むしろ前作以上にゴージャスで、「やっぱりこれが観たかった!」と思わせてくれる華やかさがあります。

    そして何より印象的だったのは、20年という時間がアンディにも、そして私たちにも与えた変化です。前作では若かったアンディも、今ではミランダの立場や苦しさを理解できる年齢になりました。観る側の私たちもまた、若い頃には見えなかったものが見えるようになっています。

    私は前作を観たとき、かつての大ヒット映画『プリティ・ウーマン』(1990年)を思い出しました。華やかな世界へ導かれ、高級店を巡り、一流ブランドの服を身にまとう。観客が胸を躍らせる構造はよく似ています。そして『プリティ・ウーマン』でジュリア・ロバーツがトップスターになったように、『プラダを着た悪魔』はアン・ハサウェイの代表作となり、世界的な人気を決定づけました。

    ただ、この二つの作品には大きな違いがあります。『プリティ・ウーマン』では、女性の幸せは男性によってもたらされます。しかし『プラダを着た悪魔』では、女性が自ら考え、自ら選択し、自ら人生を切り開いていきます。その違いは、時代の変化そのものなのかもしれません。

    そして続編では、会社の危機を救う存在もまた女性です。ミランダもアンディも、誰かに救われる側ではなく、自ら決断し、行動する側として描かれています。

    フェミニズムという言葉にはさまざまな解釈がありますが、映画の世界を振り返ると、「女性が誰かに幸せにしてもらう物語」から、「女性が自分で幸せを選び取る物語」へと変化してきたように感じます。

    そんなことを考えていると、幼い頃にシンデレラへ憧れていた自分を思い出します。古いレースのカーテンで母にドレスを作ってもらい、すっかりお姫様気分になっていたものです。

    けれど今は、あの頃とは少し考え方が違います。王子様を待つシンデレラも素敵ですが、自分の足で人生を切り開いていく女性の姿には、それ以上の美しさがあります。

    『プラダを着た悪魔』は、そんな「王子様を待たないシンデレラ」の物語だったのかもしれません。

    華やかなファッション映画でありながら、時代の変化まで映し出した作品だと、あらためて感じました。

     

    新パーソナルカラー協会認定講師 西牟田秀子