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2026.9.28
検定・資格
トミヤママチコのブログ
パーソナルカラーの検定は、本当に必要か

世の中には、実にたくさんの「検定」があります。
国家資格のように、その資格がなければ仕事に就けないものもあれば、知識を試したり、趣味として楽しんだりするものもあります。
では、パーソナルカラーの検定は何のためにあるのでしょう。
合格証をもらうためでしょうか。
肩書きを一つ増やすためでしょうか。
それとも、仕事や日常の中で本当に使える知識を身につけるためでしょうか。
今回は、少し厳しい目で「検定」というものを考えてみたいと思います。
「国際ライセンス」という印籠
少し昔の話をします。
私は、パーソナルカラーが日本に導入され始めた初期の頃、プロを養成する講座を受講しました。
授業は東京の代理機関で行われ、修了するとアメリカの本部からライセンスが発行されました。いわゆる「国際ライセンス」です。
この「国際」という言葉には、当時なかなかの威力がありました。
約20日間の養成期間を終えると、「はい、明日からプロです」ということになる。
けれど、実際の私はどうだったか。
十分な知識も経験もなく、自信などあるはずもありません。それでも仕事を始めなければならない。今思い出しても、少々冷や汗が出ます。
そんなとき、思いのほか助けてくれたのが、その「国際ライセンス」でした。
いってみれば、水戸黄門の印籠です。
こちらの実力を相手がすべて確認できるわけではありません。「国際ライセンスを持っています」という一言が、一定の信用を与えてくれました。
資格には、確かにそういう力があります。
だからこそ、怖いのです。
資格は「実力そのもの」ではない
人は、目に見えないものを判断するために、目に見えるものを使います。
学歴、経歴、肩書き、資格、認定証。
それらは、その人が何を学んできたかを推測するための一つの手掛かりになります。
しかし、資格を持っていることと、実力があることは同じではありません。
これは、パーソナルカラーに限った話ではないでしょう。
問題は、資格を取ったことによって「何ができるようになったのか」です。
色を見て考えられるようになったのか。
お客様に理由を説明できるようになったのか。
ファッションやメイク、デザイン、接客など、実際の場面で色を選択する力が身についたのか。
そこまでつながって、初めて検定を受けた意味が出てくるのではないでしょうか。
難しい検定が、良い検定とは限らない
ここは、検定をつくる側としても自戒を込めて書きたいところです。
試験というものは、難しくしようと思えば、いくらでも難しくできます。
専門用語を増やす。
細かな数値を覚えさせる。
例外的な知識を出題する。
紛らわしい選択肢を並べる。
そうすれば、いかにも「高度な試験」らしく見えるかもしれません。
しかし、それが実際に役立つ知識かどうかは別問題です。
反対に、合格者を増やすために、誰でも答えられるような問題ばかりにすることもできます。
難しすぎてもいけない。
簡単すぎてもいけない。
大切なのは、その問題を解くことによって「何を理解してほしいのか」が明確であることです。
検定問題は、受験者を振り落とすためのものではありません。
また、合格者を量産するためのものでもありません。
私は、検定そのものが一つの教育であるべきだと思っています。
では、どんな検定を選べばよいのか
パーソナルカラーや色彩に関する検定は、国家資格ではありません。
だからこそ、受験する側にも「選ぶ目」が必要になります。
名前が有名だから。
受験者数が多いから。
難しそうだから。
資格名が立派だから。
それだけでは、その検定の価値は判断できません。
私はむしろ、その検定が何を教えようとしているのかを見ていただきたいと思います。
問題全体に一つの考え方が通っているか。
学んだことが実際の仕事や生活につながるか。
単なる暗記ではなく、「なぜそうなるのか」が理解できるか。
そして資格取得後にも、その知識を自分で応用していけるか。
このあたりは、検定を選ぶ際のかなり重要なポイントだと思います。
AIの時代だからこそ、検定の「思想」が問われる
そして現在、もう一つ考えておかなければならないことがあります。
AIです。
問題をつくるだけなら、これからますます簡単になるでしょう。
「色彩について四択問題を100問つくってください」と頼めば、短時間でそれらしい問題を大量につくることも可能です。
文章を整え、解説をつけ、見栄えのよい教材に仕上げることも、以前とは比較にならないほど容易になりました。
だから私は、これからの検定ではむしろ、誰が問題をつくったか以上に、何を伝えるためにつくられたのかが重要になると思っています。
AIは問題をつくることができます。
しかし、「この知識を社会の中でどう役立ててほしいのか」という目的まで、検定主催者に代わって持ってくれるわけではありません。
そこには、やはり人間の思想と責任が必要です。
検定をつくる側にも責任がある
資格には信用を生み出す力があります。
だからこそ、その資格を発行する側には責任があります。
受験料をいただき、試験を行い、合格証を渡せば終わり、ではない。
その資格を持った人が社会に出たとき、
「この資格を取って、本当に役に立った」
と思えるものでなければならないと私は考えています。
新パーソナルカラー協会が実施する「新パーソナルカラー検定」では、「理論を実践の場へ」という考えを大切にしています。
色相・明度・彩度などの色彩理論を、単なる暗記として終わらせるのではなく、実際に色を選び、人に伝え、仕事の中で活用できるところまでつなげたい。
資格はゴールではありません。
むしろ、学んだことを使い始めるための入口です。
私自身、かつて「国際ライセンス」という印籠にずいぶん助けてもらいました。
だからこそ今、資格をつくる側になって思います。
印籠だけ立派で、中身が追いつかない資格をつくってはいけない。
検定を受けた方が何年か後に振り返って、
「あのとき勉強しておいてよかった」
そう思えるものをつくる。
派手ではありませんが、それが検定を主催する側の、一番大切な仕事なのではないでしょうか。

